行き場のない想いの記録

どこにでもいる心を病んだ1人の女子高生が死ぬまで

見通しの立たない未来

お久しぶりです 

あまりにも久しぶりに筆を執ったので、書き方など色々忘れているかもしれません

 

コロナ禍での人間としての虚無期間が受験期と重なったこともあり、精神的にはかなり疲弊しています

 

忘れることのない昨年の1件を未だに引きずっている訳ではありませんが、その影響は今にまで及んでいるなと思いまして 

話せば長くなるので詳細は割愛しますが、また機会があればそれについて書いてみてもいいかもしれませんね

 

 

私には2歳年下の弟がいるのですが、彼が高校受験に失敗して私立高校に通うようになってから、良くも悪くも親が私に全く干渉しなくなり、現在受験生の私よりも弟の学習環境などを重視するようになりました 私は家の中では蚊帳の外です

 

弟も弟でなんのために勉強なんてするんだ、こんな人生を選択するんじゃなかった、高校卒業したら働きたい、等 消極的なことばかり言っています

私は中学の時は塾に入れてもらい、毎日塾の自習室に通って必死に勉強して現在通っている高校に入学できたのですが、私は「やらなければならない環境」に置かれない限り、自分から勉強をすることが苦手なんです

 

高校に入ってからも親に「塾には行かさないから自分で頑張りなさい」と言われ 学年真ん中くらいの学力で入学したにもかかわらず 現在の成績は学年最下位クラスです

 

私はそんな自分の性質を理解していたので、親に何度か助けを求めました 塾に行かせてほしい、と

高2の2月頃から虚無期間だったのですが、高3の7月にこのままではまずいと思い 自分で塾を調べ数週間体験に行きました いよいよ自分から勉強できる環境が整った!あとは入塾だけ! となったところで親に猛反対を喰らい、結局その話はなくなってしまいました

 

そしてその虚無期間が現在、高3の12月まで続いている、というわけです

 

入塾の話をしたとき 親に今から高3の数ヶ月塾に通って浪人するな現役で行け、と言われるか 今塾に行かずに浪人するかどっちがいいか と聞かれました 私は後者と答えましたが 結局虚無期間が長引くだけだったので 前者にした方が良かったのではないか と今更思ってます

 

どうしたら良かったか、それは私が1番わかっています 

高2の2月、みんなが塾に行きだしたタイミングで親にちゃんと塾に行かせてくれ、と言うこと

それが出来ていれば、今 行く大学もろくにない、単位もろくに取れない、クラスに馴染めず学校に行くのが毎日憂鬱で仕方がない、ということにはなっていなかったんじゃないかなあと思います

 

まわりまわれば悪いのは全部私 2月に虚無期間を作る要因になった精神科医の助言を受けたのも、精神科に行く理由になったリストカットも、リストカットの原因となったあの一件も、、

 

遡ればあの一件が私の人生まで棒に振ることになっていて 本当に情けないですね

よく分からないクソみたいな人間に肩入れするんじゃなかった

 

私はこれからどうなるんでしょうか

何もせずにこのまま早く死にたいです